「百姓は末代にて候」とは、寛文5年(1665)に幕府によって裁定された境界争いの折、裁判資料として幕府に提出された山形模型に添えられた言葉である。南伊予の山峡の村に遠い昔から伝わる木彫りの山形模型と一箱の古文書を軸に、四百余年にわたる時を生き抜いた森と人の物語。