愛媛県宇和島に生まれた芝義太郎は、生家没落後、九州・筑豊炭田での炭坑員を振り出しに頭角を顕し、全国各地で炭坑を開発経営、大正3年、北海道阿寒の山奥で、北海炭礦鉄道株式会社を興す(後、雄別炭礦鉄道株式会社)。
石炭運輸で一世を風靡した後、東京機械製作所を経営。戦後、工作機械から高速輪転印刷機へ業種を転換し、業界最大手の会社に成長させる。